泣き虫パンダと慰め役のセバスチャン

不器用な新人社会人が世の中を生き抜くための処世術

出来ない我流より、出来る猿真似

細かすぎて伝わらないモノマネって、自分が体験してないのに、なんであんなに笑えるんでしょうね。

 

たまにYouTubeに上がってるモノマネ動画を見るのが大好きな私ですが、初めはぼーっと見ていても、気づいたらお腹を抱えて笑ってます。

 

よく特徴捉えていて、絶妙なラインを攻めてくるあたり、ぐいぐいと笑いのツボを刺激してくるので、次から次へと新しい動画に手を出してしまい、気づいたらこんな時間?!なんてこともしばしば…。

 

さて、今日はそんな真似事に関するお話です。

 

*

 

段々と仕事を覚えてきたパンダだが、ある日先輩からこんなことを言われた。

 

『まあ、出来てはいるよ。出来てはいるけど、なんていうか不器用っていうか、新人特有の危なかっしい感じが残ってるんだよね~。』

 

「どう思うこれ。」

既に同意を求めてるパンダ。
「んー、いるのよね。そうやってとりあえず文句言いたい人。」

そんな期待に応えるセバスチャン。

「面倒くさー…。」

完全にやる気を無くしているパンダである。

「うーん、まあ結局出来てると言いつつ、完璧には出来てないよってことでしょ。そんな先輩を黙らせるには早くできるようになること。早くできるようになる一番の近道は猿真似よ。」

「猿真似って、なんの考えもなしにやたらと人の真似をすることでしょ?あんま良い言葉じゃないイメージだけど。」

「世間的にはね。でも仕事においてはそうではないわ。出来てる先輩のやり方を見て、とりあえず真似するの。他のことは考えずに、見て真似して、細かいとこも見て真似して。どうしてそうやってるかは、後から理解すればいいの。そうやって経験を積んでいけばいつに間にか出来るようになるわ。」

目で見て技術を盗む。

「出来てないと言われる我流より、出来る猿真似よ。」

「…ウキー。」

 

*

今日はちょっと短めです。


猿真似の語源は、猿が人の真似をするとき、あまりよく考えずに形だけ真似ることからきています。

 

ですから、よく「あいつは誰々の猿真似をやってるだけだから全然ダメ。」なんて言い方で、主に何かを軽蔑するときに使われることが多いです。

 

 

でも、余程オリジナリティが求められる世界でない限り、それでちゃんと出来ているのならば猿真似でもなんの問題もないと私は思います。

 

自分は自分のやり方でやるんだ!と意気込む。

そのやる気には拍手を送りたいですが、まずはその現場で実施されてるやり方を学んで自分もそのやり方で行う。

 

郷に入っては郷に従う。

 

それがきちんと出来るようになって我流に変化させていっても全然遅くないです。